他人が決めた人生を歩んだ結末【インファナル・アフェアより】
今回は映画、インファナル・アフェアを取り上げたいと思います!
インファナル・アフェアとは何か?
この項ではインファナル・アフェアの基本情報について書いていきます。
この項目はネタバレなしです。
インファナル・アフェアは2002年に公開された香港映画です。
インファナル・アフェアという名前は、原題では仏教用語の無間道と表され、
意味としては終わらない地獄という意味です。
ジャンルで言うと刑事、マフィアもののサスペンス映画になるでしょうか。
物語の中心はトニーレオン演じる、ヤンというマフィアのフリをしている警察の潜入捜査官と、アンディラウ演じる、ラウという警察官のフリをしているマフィアが、
お互いの組織の中で裏切り者を探す、つまり自分とバレないように行動し組織に尽くす、というものになります。
その結末どうなるか?という手に汗握る展開です。
ただ、あまりアクションシーンや銃撃シーンなどはありません。どちらかと言えば個々の人間や翻弄される運命に焦点が当てられています。個人的にはヒューマンドラマのようなジャンルだと捉えています。
香港映画というとあまり聞きなじみがない方もいらっしゃると思います。
少し香港映画の歴史について説明すると、もともと香港映画は1980年代にマフィア系の映画で一世を風靡したのですが、その後は低迷していました。
そしてインファナル・アフェアが出た2000年初頭には香港映画の復活を掲げた映画が出ていました。インファナル・アフェアもその例に洩れません。
結果的にインファナル・アフェアは大ヒットして、香港内でのブレイクにとどまらず、
なんとハリウッド、日本でもリメイクされました!
ハリウッドのリメイクはディカプリオ、マットデイモン、ジャックニコルソンという、そうそうたるメンバーで、ディパーテッドという名前で作成されています。そしてアカデミー賞も受賞しています。
それから日本ではダブルフェイスという香川照之と西島秀俊がメインキャストで特別ドラマのような形で、テレビで放映されました。
原作も他国でのリメイク前に、第一作がヒットしたことから、3部作として最終的に上映されました。
最初から3部作だったとも制作側は言っていますが、実際は第一作のヒットが後続の作品の制作を後押ししたのは間違いないでしょう。
なぜヒットしたか?
シンプルに作品のシナリオが良かったからだと思います。
だからこそ、他国でもリメイクされたのではないでしょうか。
作品の毛色は全く異なりますが、Mr.ビーンのような印象です。
あのコメディドラマもシナリオ・笑いが、作成された国に限定されない共通項があったからこそのヒットだと思いますが、インファナル・アフェアも同様です。
シナリオが良かったと書きましたが、では具体的には何がよかったのか。
純粋にサスペンスドラマとして観ても非常に面白い作品であることは間違いないです。
個人的には、それに加えて人間の普遍的な性質に焦点が当てられており、
劇場の言葉で言うと「善人」「悪人」の運命について描かれている、
そして必ずしも善人のように行動をしていても、いい結果にならないという、
世の中の厳しさ、儚さが多くの人に受け入れられたポイントだと考えました。
実は私はこの作品が大好きで、好きな映画トップ5には確実に入り、
普段繰り返し映画は見ないのですが、何度も何度も見ています。
香港を旅行で訪れた時に、ロケ地にも足を運んだくらい好きです。
面白いだけでなく、何か感じるところがあり今回取り上げました。
ここまでは前置きです。この後はネタバレ含めて書くので、
ネタバレを見たくない方は、ここで記事を読むのをストップしてください!
とにかくまだこの映画を見たことがないという方には見ていただきたいです。
結末から考える他人が決めた人生を生きるという事
※ここからはネタバレ含みます※
なお、あくまでも私がこの映画を見て感じたことを書いてますので、
おそらく製作者が意図していることからは外れているということはご承知おきください。
ご覧になられた方はお分かりだと思いますが、
最後はヤンが殺されて、何とも後味の悪い結末となります。
結末をどのように捉えるかは様々な解釈があると思います。
見ての通り、何もヤンが報われることなく終わるので、バッドエンドだと捉えることもできます。
一方で最後は警官として埋葬されたから、やりたくもないマフィアという生き地獄から抜け出せたので、ある意味ハッピーエンドとも捉えることができます。
上記いずれも正しい解釈であると思います。
ただ、私はそれ以前にヤンは完全に他人が決めた人生を歩んで、生涯を終えたことが気になりました。
ヤンの人生に想う
インファナル・アフェアは3部作で構成されており、
2作目は1作目の前日談としての作品となります。
そこで描かれている過去もありますが、この記事では1作目で描かれている内容のみを参考として書かせていただきます。
まずヤンは警察学校に入り、そこで優秀な成績を残している姿が映像を通してわかります。
皮肉にもその結果、マフィアの潜入捜査官として選抜されて、
警察としてではなく、マフィアとして生きることになります。
そのため、表向きは警察学校の規則を破った者として学校から追放されました。
ヤンの潜入捜査官としての評価は、正体を知る警察の僅かな人間のみとなります。
つまりいくらマフィアとして活躍しても喜べないし、潜入捜査官として活躍しても、
やりたくないことをやっているわけですから、空しい気持ちだったと思います。
そしてヤンは警察官になりたくて警察学校に入ったような意思が劇中でも見られます。
何度も何度も潜入捜査官を辞めさせてくれという話が出てきました。
上司のウォン警視からは期間限定ですぐ終わるから・・・みたいな話がありました。
ところが結果としてヤンは実に10年マフィアの潜入捜査官として活動し、
最終的には警察にスパイとして潜入していたマフィアに命を奪われました。
一歩引いた目線で見るとヤンは警察という組織に上手い具合に使うだけ使われて、
日の目を見ることなく、意思を介入することもできずに、
最終的に報われることなく終わってしまったと考えることができます。
これは腐ったダメな組織に所属してしまった場合のキャリアにも同じようなことが言えるような気がします。
先日もこんな話を聞きました。
知り合いが現在の仕事に不満を持っているという話になりました。
その理由を聞いていると、ほぼほぼ上司が決めたキャリアパスに沿って人生が進んでいるということが不満というものでした。
このように不満に感じて、結果的に環境を変えることや、
他の選択肢を取ることが出来ればいいですが、それにすら気づかずに数十年後にはその会社の中でしか活きないキャリア、経験しか残らなかった場合には社会が変化した時に生き残ることは難しいでしょう。
世の中が変化し続けている中で、いまだにこのような会社が存在していることに改めて驚きました。人生を会社に支配されていると感じました。
当たり前ですが会社のための人生ではなく、人生のために会社があります。
そして、ふとインファナル・アフェアのヤンの人生がまさしく組織に支配された生き方だったことを思い出して、どうしても重ね合わせてしまいました。
組織のために自分が何かの役を演じるのではなくて、自分が演じたい役を自らの意思で演じ切ることが、人生に納得感を持つために必要だと、インファナル・アフェアが教えてくれました。
私は潜入捜査官になれと言われても、やりたくなければ断ります。
↓ ブログ村ランキングに参加しています。