人の死を考えた時に気づいたこと
つい先日こんなことがありました。
私の7年来の友人が、北海道に出張に行ったきり、ぱったりと連絡がつかなくなりました。
普段であれば、毎日連絡を取るような仲の友人であったので、急に連絡が途絶えて妙な胸騒ぎがありました。
10日間ほど音信不通となり、さすがに何かあったのかと心配になり、
LINEでメッセージを送るものの、既読にはなりますが返信は全く来ないという状況になりました。
いつもであれば既読のみならず、積極的にコミュニケーションを取ってくるタイプなので、既読スルーの状態はかなり気持ち悪く、何かしらの事件に巻き込まれたのではないかと、そのうち考え始めました。
他の仲の良い友人からも、音信不通になった友人と連絡が取れないという連絡があり、これはいよいよ何かがあってもおかしくないと思いました。
もしかしたら最悪、何かの事故に巻き込まれていて亡くなっている可能性もあるかと思い始めました。考えすぎと思われるかもしれませんが、それくらい頻度が高く連絡してくる友人だったのです。
とにかく誰かと連絡が取れていればと思い、同じ会社の同僚にまずは連絡を取ってみることにしました。
結果、この音信不通になった友人とつい最近会ったし、連絡も取れていることがすぐに判明しました。
どうやら忙しくて、ただ単に連絡が取れていなかっただけだということが最終的な事実でした。
何事もなく本当によかったのですが、安堵と共に図らずも人の死を考えて気づいたことがありました。
それは誰もが突然亡くなるかもしれないということでした。自分も含めて。
明日は何が起きるかわからないということは、当然ではあるのですが普段はなかなか意識しづらいと思います。普通に生活している時は、あの人が明日亡くなるかもしれない、とは何かしらの重い病気を持っている方以外には考えづらいでしょう。
ところが何か不慮の事故であったり、何かしらの事件に巻き込まれることも、予期せず人生では起こる可能性があります。今日会えている人も、明日会えなくなる可能性があるということをとても感じました。
それと同時に、明日会えなくなる可能性があるからこそ、相手との一瞬一瞬の時間を大事にして、相手には感謝することが後悔のない人付き合いではないかと考えています。
もちろん、すべての相手にそれはする必要がないと思います。特に自分が嫌いな人に対してですが・・・(笑)。
相手との時間を大切するにはどうするのか?という話にはなりますが、個人的には誠実に相手に接することが何よりも大事だと思います。誠実というのは相手に嘘をつかずに向き合うことだと思います。
例えば相手と自分の意見が違うのに、意見の対立を避けるために自分の意見を伝えないのは不誠実だと思います。誠実とは何もかもを相手に合わせるのではなく、自分の考えや思いを思った通りに伝えることだと思います。
相撲で例えると“がっぷり四つ”の状態が相手に誠実に向き合っている状態に近い?かもしれません。
そして感謝に関しては、そのままですね。何に対して感謝するのか、ということに関してはあらゆることだと思います。
例えば、ランチに行くとしたらランチに行く時間そのものを自分に使ってくれた、と感謝の対象になります。もしランチを御馳走してもらってしまったら!、これは分かりやすいですが、お金を使ってくれた行為もそうですし、御馳走しようとしてくれたその心に何よりも感謝せざるを得ないです。
誠実さと感謝、これを人間関係において大事にしていかないといけないと再認識させられました。私もまだまだできてないことが多いと感じていますので、誠実さと感謝の気持ちを忘れずにこれからを過ごしたいと思いました。
今回は以上です。
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