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【アドラー心理学】幸せになる勇気から考える尊敬と尊重

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最近、6年ほど前に読んだ、“嫌われる勇気”を再読しました。
そして、その後に“幸せになる勇気”という続編を見つけて、そちらも読了しました。

 

ただ、この続編の“幸せになる勇気”には、強烈な違和感を覚える箇所がありました。
それが、この本で定義されていた、“尊敬”という言葉についてでした。
まずは本書での尊敬という言葉の使われ方について見ていきます。

 

本書の中で尊敬とは「人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである」と定義されていました。

 

そして相手のことを信頼するには、相手を尊敬することが必要だと本書では説かれています。また、相手が誰であろうと、相手がどう思うかに関わらず、まずは自分が相手を尊敬し、信頼することは、アドラー心理学の骨格であるかのように感じました。

 

私が違和感を覚えたのは、まず尊敬という言葉の定義です。
本書で使われているような、「相手をありのままに見て、唯一無二の存在だと認識する」という意味で、日常生活において尊敬という言葉を使わなくないか?という疑問です。

 

尊敬という言葉の意味をネットで調べると、「相手の人格を尊いものと認めて敬う。行為・実績などを認めて敬う」と定義されており、どちらかと言えばこちらの方が尊敬の意味として、個人的にはしっくりきます。

 

本書で定義されている尊敬という言葉の意味があまりにも実感がなくて、モヤモヤしていました。

 

また、“ありのまま”という言葉の使い方も曖昧で分かりにくいと感じました。何をもってありのままなのか、というのが釈然としません。

 

加えてもう一点が、誰に対しても尊敬することが大事だと繰り返し説かれていますが、そもそも自分が嫌いな人に対して、わざわざ尊敬(アドラー心理学的定義、辞書の定義に関わらず)しなくないか?ということです。

 

本書では相手がどのように自分を感じるかは自分の課題ではなく、相手の課題だから気にする必要がないと書かれています。要するに嫌われてもあなたの責任ではない、という話です。

 

しかし、自分が嫌いな相手に対してはどうするのか、この点はあまり触れられていないように感じました(触れられていたらすみません)。

 

誰に対しても尊敬の気持ちで接する。聞こえはいいですが、こんなことできる人は完全に悟りを開いている人くらいしかいないのでは?と感じました。
要するに現実的じゃないという印象です。

 

それでここから“尊重”の話になります。
実は本書の中盤以降で再び尊敬の定義が書かれており、そこでは「ありのままのその人を尊重する」と書いてありました。

 

なんか尊重の意味も一般的な意味とズレているなあ、と感じたのが率直な意見です。
対応する箇所から読み解くと、尊重は「唯一無二の存在だと認識する」という意味で本書では捉えられますが、この意味では一般的に使わないと思います。


辞書的意味は「価値あるもの、尊いものとして扱うこと」とあります。やっぱりこっちの方がしっくりきますね。

 

そこで個人的に思ったのは、誰に対しても“尊重”するのが信頼する上で必要不可欠である、という捉え方がしっくりくるということでした。

 

日本で長らく生きてきましたが、誰に対しても尊敬は正直難しいですが、尊重なら相手・年齢問わず、できると思います。嫌いな相手でも尊重はできます。

 

よって個人的な結論は、人間関係において相手を無理に尊敬する必要はなく、相手を尊重することが大事ではないか、ということです。

 

どうしても読了して納得ができなかったで、備忘録がてら書いてみました。
一つお伝えしておきたいのは、単にアドラー心理学や本書を批判したいわけでは決してありません。むしろ、読んで気づきが大きく数年前から実践できており感謝しています。今回の記事も私のただの感想です。

 

一方で本書を批判的に読んで著者と意見が異なっても、そこに今回のように気づきがあれば、それはそれで正しい読書の一つだとも思っています。

 

色々な読み方で様々な気づきがある。
これが読書の良いところだなと実感しつつ、今回の記事を締めたいと思います。

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