失敗・挫折・後悔が人を成長させる【中学・高校編】
私は今でこそ自分の望むキャリアを進めることができていますが、かつては違いました。
キャリアに限らず、私の人生はどうしても納得感のないモヤモヤが残ったまま、歩んできたような印象が強いです。
それは何も社会人になってからではなく、学生時代のしかも中学・高校時代まで遡ります。
そして現在、成功した人間だとは一切思っていませんが、自分の思った人生を描けている、また人生を楽しむことが出来ている、という点にはある程度満足感を持っています。充実感を日々感じています。
一方で、そのように思えているのも過去の失敗・挫折・後悔が、今の自分・キャリアを作っていると感じています。
そこで過去の転機となった事象について振り返ってみました。
中学、高校、大学、そして社会人になってからまで、各時代に私は失敗をしてきたことがよくわかりました。
もしかしたら誰かの参考になり勇気づけられたらなあ、とも思い綴りました。
振り返るうちに思った以上に文章が長くなったので、今回は中学・高校編となります。
■中学・高校時代の話
適当に生きていた。
まさしく、この言葉が僕の中学・高校時代に当てはまります。
私は首都圏にある、私立のそこそこの中高一貫の進学校に通っていました。
でも、この6年間の中で何をしてきたか?と問われたら、正直答えに困ってしまいます。
なぜなら何かに打ち込んできたわけでもなく、目標もなく、勉強も必死にすることなく、6年間を終えてしまったからです。
確かに何もない6年間であったわけでは決してありません。
今でも仲の良い、信頼できる友人が何十人もいますし、それは人生の宝になっています。
でも、自分自身が何かを実現してきた6年間かと問われたら、ほぼ何もありませんでした。
中学1年では野球部に入り、部活動生活をスタートさせましたが、
冬頃に練習場が遠いこともあり、面倒くさく感じてから部活をサボりはじめ、
そしてついには幽霊部員になっていました。
その後、中学2年では何とサッカー部に入部しました。
何とも言えない一貫性のなさですが、たまたま中学2年の時に仲の良かった友人がサッカー部で、それがきっかけで入部することになりました。
ところがサッカー部も3年生の春くらいで練習に行くのが面倒になり、
幽霊部員後に自然退部していました。歴史は繰り返してしまいました。
野球は小学生の時にやっていたので、それなりにできましたがサッカーはほとんど経験したことがなく、振り返ると上手くプレイできないのもストレスでした。
つまり下手くそだったわけですが、上手くなる努力をせずに辞めたということになります。
高校生になってからは、部活に入部することはなくなりました。
その結果、放課後が暇になり、よく帰宅部練習と一緒になぜかサッカーをやっていました(笑)
真剣にはやりたくないけど遊び程度なら楽しい、みたいな感じだったと思います。
それから渋谷のゲーセンなどにもよく行っていました。
当時センター街には結構ゲーセンがあって、友人と通っていたような記憶があります。
一方で勉学の方はどうかと言うと、実は高校2年生までそれなりに成績は良かったです。学校でも一桁台の順位に入ることもあり、有名私立大学が狙えるレベルにはいたと思います。ちなみに私は文系で数学なしの、社会科の科目は日本史を選択していました。
ところが、高校3年生になってから、急激に勉強をする意味がわからなくなり、勉強に熱が入らなくなりました。
当時、勉強をする意味はイコールで大学受験に成功して良い大学に入る、ということだと認識していましたが、じゃあその大学に行って意味があるの?と思い始めてから勉強をしなくなりました。
周りの友人がなぜここまで大学受験に打ち込めるのかも理解できなくなり始め、先生に大学生活の魅力を語られるも関心を持てませんでした。
私は予備校に通っておらず、強制的に勉強することもなく、自習することもなく、
成績は上がらずに、大学受験に失敗しました。受験した大学は全部落ちるという、まさに全敗でした。
そして高校の卒業シーズンを迎えた頃に、私はもう一つの後悔、最大の後悔を知ることになりました。
それは中高6年間、部活動で頑張ってきた友人が、異常に輝いて見えたことでした。
充実感を持っていると言えばいいのでしょうか、何かやり切った感のある表情を見た時に、私はとてつもない後悔を感じるとともに、彼らに羨ましさを感じずにはいられませんでした。
こうして失意とともに私の中学・高校の6年間は終わることになりました。
今回の記事はポジティブなことが書いていないですが・・・(笑)、
次回は後悔を元に変わった考え方などを書いていきます。
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